emptyship666
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JAPAN
草原と洞窟
2008-06-27 Fri 22:15
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日数:237日目
距離:山口県長門市深川キリスト教会〜山口県秋芳町秋吉台YH
多謝:深川キリスト教会さん・長門市観光案内所さん・長門タクシーのおじさん・防長バスさん・秋芳洞観光センターさん・展望台売店のおばさん達・冠山のおじいさん・長者ヶ森駐車場のアイスクリーム屋さん・取材のおばさんと地元のおばあさん・大正洞受付さん・秋吉台エコミュージアムさん・大正洞売店のおばあさん・かるすと乗り合いタクシーさん・秋吉台YHさん・他お世話になった皆さん

晴れです。
昨日は星が見えました。
天文台に行きたいなあ。

晴れている内に今日は、山口県中央の秋吉台へ行きました。
秋吉台は遥か昔に珊瑚礁として誕生してから約3億5千万年、石灰岩のカルスト台地となった場所。
かつては森林だったところを阿蘇と同様に、農業の山焼きを行って良質な草原を保つようになった、人の営みによって生まれた自然です。
今の自然はほとんど人の手が入ってるなあ。

カルストっていうのは、水に溶けやすい石灰岩地の特有の容食地形らしいけど、カルストの上に降った雨は岩の割れ目を伝わって、地下に流れ込みます。
水に溶かされた凹地はドリーネと呼ばれて、このドリーネの密度が高い秋吉台には、地下水が造り出した鍾乳洞がたくさんあるんです。
その中の秋芳洞は、秋吉台の地下100m、ポリエの奥に開口する大鍾乳洞。
川沿いを歩くだけで、ひんやり肌をさす冷気が漂ってくる洞窟入口。
入口には滝がグリーンの川面に落ちていて、年間17℃の洞内は涼しくて気持ち良いです。
東洋一の鍾乳洞だけあって、大ホールのような宮殿のような空間。
青天井や百枚皿、広庭、黄金柱など色んな名前の付いた石筍や鍾乳石があったけど、観光洞の支洞じゃない本洞の奥は、まだまだ長く続いているよう。
本当に広いなあ、この上にあの台地があるのは不思議な感じ。

秋芳洞には入口が3つあって、観光センターの方から黒谷口へ行ってから、エレベーターで外に出ました。
そこからカルスト展望台へ上ると、草原から突き出す石灰岩の柱・ラピエがたくさん見られます。
ラピエの表面は、溝があったり凹凸があったりして、雨水で溶かされているよう。
緑の台地に白い岩がある様は、羊の群れにも見えるし、墓標が並んでいるようにも見えます。
このラピエが林のように多くある景色は、カレンフェルトと呼ぶそうです。
窪んだドリーネやそれが大きくなったウバーレは、月のクレーターみたい。

広々と絨毯のような秋吉台を見渡す展望台から、ちょっと散策。
妙見原を通って海抜253.4mの若竹山行き、そのまま尾根道のような見晴らしの良い道を歩いて冠山(377m)まで。
途中、野菊の花畑が広がる場所もあってキレイでした。
遮るものがないから日差しは直に当たるけど、風も吹き抜けて爽やかです。
冠山からラピエが一番多く見られる地獄台へ寄ると、眺めの良い烏帽子岳(394.5m)、北山(376.5m)も登ってみました。
見通しが良いから、地図なしでも道のあるところを何となく歩いて辿り着けるのが楽。
アップダウンもあんまりないし。

草原が続く中に、長者ヶ森という原生林の小さな森もあります。
野鳥が多く棲んでるみたいで色んな鳴き声が聴こえるのと、枯れ葉でフワフワの地面、木漏れ日の落ちる木々の屋根がキレイでした。
本当に森だ。

長者ヶ森の駐車場に出ると、ワゴンのアイスクリーム屋さんがあって、外国人のおじさんが店を開いてました。
チョコアイスを買って、この先の大正洞に行きたいと食べながら話していたら、おじさんは駐車場にいた車の人達に「この子乗せてあげて」と話してくれました。
そうして、取材で秋吉台に来ているおばさんと、その人を案内している地元のおばあさんに大正洞まで乗せて頂くことに。
おばさん達、ありがとうございます!
おじさんも、手作りアイスも美味しかったです。

ドリーネポンドの地層が逆転している帰り水というのを見てから、大正洞に到着。
大正洞は、高天原2層と極楽・地獄・奈落の5層からなる立体構造の鍾乳洞で、秋芳洞より気に入りました。
歴史の新しい鍾乳洞で、細いよろめき通路や水の溜まった蓮池、上り龍なんかがキレイ。
コウモリもたくさん飛んでいて、甲高い鳴き声と水の滴る音だけが、静かな洞内に響いていました。
それとここはマグシーバーを貸してくれるんだけど、この自動受信の音声がカオス…。
放送が重なって何人も話してるみたいな、その上にコウモリの超音波をキャッチしたのかキーキー鳴ってて面白かったです。

もう1つの景清洞には時間がなくて行けなかったけど、秋吉台の地上と地下を回って楽しかったです。
ただ、鍾乳洞の観覧料は高過ぎだと思いました…。
夕方前から曇ってきたから、夕陽と星は見れないなあ。
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晴れの海
2008-06-26 Thu 23:01
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日数:236日目
距離:山口県下関市唐戸の港〜山口県長門市深川キリスト教会
多謝:Amica J.hairさん・ブルーライン交通さん・特牛駅のおばさん・古市タクシーのおじさん・バスの運転手さん・深川キリスト教会さん・他お世話になった皆さん

髪が伸びた…といってもショートの域は出てないんだけど、何か鬱陶しくていつも我慢ができません。
髪を肩以上伸ばせる人はスゴイ。
という訳で、昨日の夜は美容室に行ってました。
下関駅前のシーモール内にある「Amica J.hair」というお店。
お兄さんとお姉さんが下関について色々と教えてくれたり、情報誌やシーモールのパンフレットも持ってきてくれたりしました。
2人掛かりでドライヤーをしてもらったのは初めてです。
下関は瓦に茶そばを乗せた瓦そばが名物だそう。
国際フェリーが運航してるから在日の人達も多くて、韓国人の人が経営する焼肉店も美味しいらしいです。
花火大会の日には、巌流島から門司港と下関港の両側から花火が揚がってキレイなんだって。
それと、買い物は山口市よりも小倉や福岡市に行っちゃう人が多いそう。
…そんな話をしている内に、頭はスッキリ軽くなりました。
ありがとうございました!

次の日は、美容室の人達に勧められた角島に行ってみました。
角島は前々から、友達にもキレイだからと言われていて、どんなとこなんだろうと思っていましたが…天気はどうだろう。
曇り空を移動して小雨もパラつく中、角島に到着すると何と晴れました。
やったあ。

島内へは、角島大橋を渡って入ります。
角島と本州を結ぶこの橋は、コバルトの海土ヶ瀬戸を跨いで架かった1,780mの橋で、小さな鳩島の横をくねって伸びていました。
それを渡って、一気に島の西にある角島灯台公園へ。
130年の歴史を持つ洋式灯台が空に建ち、その高さは約29m。
後ろに流れる青い水平線に、白い胴体がよく映えています。
周辺には黒い岩が突き出た岬と、ハマユウの群生地がある海岸。
ハマユウの花はまだ咲いていないものの、浜ぐるまや他にも白・黄・桃の小さな背丈の低い花達が、潮風に負けず咲いています。
砂は真っ白、緑の草木とのコントラストがキレイ。
海はコバルトブルーより明るめで、エメラルドの碧が混じっている部分もある日本海よりは太平洋みたいな感じ。
でも強い潮風に煽られた白波が寄せ返して、日本海の雄々しさもあります。
海も空も花もキレイ…雨が降ってくれたおかげで、更にキレイに見えるなあ。
風邪をひくのは困るけど、雨に降られる時は降られていいと思うなあ。
雨には雨の良さがあるし、晴れたら虹も見れたり、空がキレイだって改めて感じられるから。
人は慣れると忘れる生き物だから、変化が必要です。
あー、空が青い。

灯台の近くの夢崎には、使われなくなって草に覆われた綱屋があったり、夢崎明神という社がありました。
御影石の小さな鳥居の先、磯の石を積み重ねた石垣に囲まれた中に御室があって、灯台を遠目に映せる位置。
ソテツが生えていて南国風味。
石垣の隙間の向こうに空と海が見えます。

少し離れた大浜海水浴場には、キャンプサイトと映画のセットで使われた礼拝堂が残っていました。
この周辺も景色がキレイで、さっきいた灯台の夢岬が一望できます。
礼拝堂の丘から浜辺まで下りて、波に浸かって遊んでみたら冷たかった…。
沖縄で泳いでたから大丈夫な気がしたけど、やっぱり本州はまだちょっと早いのかな。
シュノーケルしたいなあ。
コバルトブルービーチの方は人が賑わっていて、名前の通りコバルトの海がキレイでした。

角島を遊び終えると、そこから海沿いに長門市まで移動。
下関から角島へ行く海岸線沿いもこの道沿いも、青い水平線に突き出た岬や浮かぶ島々が見渡せて眺めが良いです。
長門市には千畳敷という、標高333mの高台に広がる草原があって、その高台に上りました。
たくさんの鮮やかなアジサイが咲く中、頂上まで上って行くと…寒ッ!
シロツメクサの広場や遊具がある草原に冷たい風が吹きすさび、ガスがかかって曇り空になっています。
でも海の方は眩しい青。
反対側の田園にも陽の光が当たって、棚田や水田が形良く並んでいます。
高台の上には風車が何本も建っていて、遠く霧の中でくるくる回ってました。
ぶるぶる寒いけど、景色はキレイ。
青い海の上を小さな船が、線を描いて進んでるし。

空も海も、こんなに青かったっけなあ。
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維新回天
2008-06-25 Wed 21:02
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日数:235日目
距離:山口県下関市火の山YH〜山口県下関市唐戸の港
多謝:火の山YHさん・サンデン交通バスさん・厳島神社の奥さん・了円寺のおばあさん・下関駅バス案内所さん・下関駅案内所さん・大歳神社の神主さん・セブンイレブン吉田店さん・掃除のおばさん達・他お世話になった皆さん

昨日は広いYHに宿泊客が自分だけだったので、何となく寂しかったです。
出会いがなければ別れもないけど、最初からないより失くなってもあった方がいい…よな。

今日は大まかに、高杉晋作ゆかりの地巡りをしました。
萩城下に生まれ、松下村塾に学び、奇兵隊を創設し、長州藩を討幕運動の主役へと導いたものの、維新実現を目前に没した人。
佐々木小次郎しかり、この高杉晋作しかり…夢叶わずとも、自分の信じる道を突き進んで生きた…今で言う“勝ち組”には入らなかった人が無性に好き。
…って失礼だよな。

下関駅からまず歩き始めたのは、白石正一郎旧宅跡。
豪商の白石正一郎は維新の志士達を物心両面から支援した人で、奇兵隊はここで結成されたそう。
奇兵隊は、志があれば庶民でも入隊を許した画期的な軍隊でした。
進んだ先には、高杉が一晩身を隠したひょうたん井戸。
そこの民家のおばさんが、井戸を動かして下さいました。
高杉はこれがもとで体を壊したらしいけど、そりゃそうだろな…。
そうして次は、高杉晋作終焉の地へ。
肺結核の病をおして戦いを指揮した後、1867年4月14日、27歳で生涯を閉じた場所です。
もともと奇兵隊は、高杉が幕府貿易視察団に加わって清国上海へ渡った際に、ヨーロッパの半植民地と化した街を見て衝撃を受け、下関を外国鑑から防備しようという目的で結成したそうです。
ともすれば狂気に走るほど正義感が強くて、師の吉田松陰の教えを忠実に実行しようとしてたんだなあ。
その近くには、萩藩新地会所跡があります。
1864年、幕府との攻防により存亡の危機にあった長州藩の中、僅か80人を率いて挙兵した高杉晋作は、この機関を急襲。
クーデターを成功させて、長州を再び討幕へと導きました。
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」
まさに維新回天、歴史を変えた瞬間です。
そしてすぐ奥には、厳島神社。
境内には小倉戦の戦利品として、奇兵隊が持ち帰った大太鼓が保管されていました。
次は、了円寺。
新地会所襲撃後に彼等が立てこもった寺で、本堂の柱には当時の刀傷が残っています。
この刀傷を見せて頂きました…深く短く2本の溝が走っていました。
ふわあ。
次の桜山神社は、高杉らの発議によって創建された招魂場。
吉田松陰を中心に維新に散った志士達約400柱が祀られています。
この招魂場は、指導者の吉田松陰から隊員の名もない人まで等しく祀られていて、奇兵隊における武士や町人の身分制を越えた新しい時代への理念を伝える場です。

駅の西側は終了して、今度は東側を散策です。
まずは大歳神社から。
攘夷必勝を祈念した白石正一郎の銘が残っている神社で、源義経が必勝祈願をした地に建てられたといういわれがあります。
義経の勝守を購入!
それから光明寺と東光寺に寄って、最後は日和山公園へ。
高杉晋作の陶像が建つ、見晴らしの良い丘でした。

下関駅周辺を回り終わると、ちょっと離れた下関吉田へ移動。
最初は奇兵隊陣屋跡に。
後に解散する最後の本陣を置いたところで、当時の堤防が名残を留め、隊士の銅像が建っていました。
それと、奇兵隊の駐屯所として利用された御茶屋跡と吉田宰判勘場跡に寄って。
最後に東行庵という、高杉の墓がある庵へ行きました。
遺言によって奇兵隊の陣屋があった吉田の清水山に葬られた高杉の菩提を弔うために、愛人のおうのさんが梅処尼となって庵を結び、生涯を高杉の墓を守って暮らしたのだとか。
“東行”は高杉の号で、西行法師を崇敬していたことから名乗ったらしいです。
静かな庵には菖蒲が咲いた池や、色々な歌碑があり、奥には隊士の顕彰墓地もあります。
維新戦争で亡くなった長州隊士の多くが10代20代で子孫がなく無縁仏になるのを嘆いた東行庵三世が、各地から隊士の墓を集めて供養されたそうです。
そしてひっそりと、高杉晋作の墓・梅処尼の墓も建っていました。
お墓を見ると、この人は死んだんだって思い知ると同時に、この人は確かに生きていたんだと実感します。
みんな自分達と同じように、この日本で生きていたんだよなあ。
隣の東行記念館には、高杉の遺品、吉田松陰の書簡、奇兵隊旗などの資料がいっぱい収蔵されていました。

「面白き こともなき世に 面白く」
あの人から見て、今は面白い世になってるかなあ?
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